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東京地方裁判所 平成11年(ワ)1237号 判決

原告

原告

原告

原告

原告

右五名訴訟代理人弁護士

新堀富士夫

新名広宣

原告

原告

右両名訴訟代理人弁護士

新堀富士夫

山田滋

新井均

被告

被告

右両名訴訟代理人弁護士

佐々木敏雄

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一請求の趣旨

一  被告らは、各自、原告Aに対し、金五〇〇〇万円及び内金七六九万二二八九円に対する平成二年一月一日から、内金九二七万八五一八円に対する平成三年一月一日から、内金八二〇万二二一八円に対する平成四年一月一日から、内金七九〇万八二五一円に対する平成五年一月一日から、内金一〇三〇万七四五九円に対する平成六年一月一日から、内金六六一万一二六五円に対する平成七年一月一日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告らは、各自、原告B、同C、同F、同D、同E、同Gに対し、それぞれ金八三三万三三三三円及び内金一二八万二〇四八円に対する平成二年一月一日から、内金一五四万六四二〇円に対する平成三年一月一日から、内金一三六万七〇三六円に対する平成四年一月一日から、内金一三一万八〇四二円に対する平成五年一月一日から、内金一七一万七九一〇円に対する平成六年一月一日から、内金一一〇万一八七七円に対する平成七年一月一日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、J(以下「J」という。)の相続人である原告らが、K(以下「K」という。)を特許権者として特許権設定登録されていた腋窩皮下組織削除器の特許発明について、その発明者はJであり、同人がKに対しその特許を受ける権利を無償で譲渡したものであって、JとKは、Kによる右発明の実施によって利益が上がったときはこれを両者で折半する旨の合意をしたとして、Kの相続人である被告らに対し、右合意に基き、平成元年一月から平成六年一二月までの間に右発明の実施によって得られた利益額の半分につき、一部請求をしている事案である。

一  争いのない事実等

1  原告らは、J(平成一一年三月七日死亡)の相続人であり、その法定相続分は、原告Aが二分の一、その余の原告らが各一二分の一である。

2  被告らは、K(平成一〇年二月一二日死亡)の相続人であり、その法定相続分は、各二分の一である。

Kは、医師であり、昭和三〇年、「稲葉産婦人科・整形外科」を開業するとともに「東京腋臭研究所」を併設し、腋臭症の治療行為をしていた。

3  Kは、腋窩皮下組織削除器の特許権(特許番号第六二九二九一号、昭和四二年五月二五日特許出願、昭和四六年五月一一日出願公告)を有していた(以下、この特許権を「本件特許権」といい、その特許発明を「本件発明」という。)。

4  本件発明の明細書の特許請求の範囲の記載(出願公告されたもの)は、次のとおりであった。(甲第四号証によって認められる。)

「中央部を枢着した開閉自在な一方の操作杆の先端に適宜間隔をおいてローラー5、6を枢着し、他方の操作杆の先端には基部方向に起上する切削刃10を取付けて前記ローラー5の内部下部に対向させて装置し、一方の操作杆基部に嵌合した摺動体9とこれに当接する他方の操作杆の傾斜面11とによって前記ローラー5と切削刃先端との間隔を調節自在にしたことを特徴とする腋窩皮下組織削除器。」

5  Kは、本件発明の実施品である腋窩皮下組織削除器(以下「本件器具」という。)を使用して、腋臭症の治療行為(腋窩皮下組織削除手術)をしていた。

二  原告らの主張

1  本件発明の発明者は、Jであり、その特許を受ける権利を有していた。

Jは、様々な分野にわたる発明を次々と創作し、いくつもの特許や実用新案登録を受けていたところ(甲第一五号証ないし第一九号証、第四四号証ないし第四七号証、第四八号証及び第四九号証の各一、二)、腋臭症についても研究を重ね、文献を参照したり、ウサギや犬を利用して皮下組織の削除方法を研究したり(Jは、獣医学校に在籍したこともあった。)、Kに相談するなどして、本件発明を創作するに至ったものである。

本件発明の発明者がJであることは、本件発明の願書(甲第三号証)及びその特許出願公告の特許公報(甲第四号証)に、発明者としてJの通称名(L)が記載されていること、Jの作成に係る皮膚層の詳細図や手控えメモ、願書の下書原稿の一部が残っていること(甲第二二号証ないし第二六号証)、K作成の本件器具に関する論文において、自らJの名前を出して本件発明の特許出願公告を引用していること(甲第三七号証)などから、明らかである。

2  Jは、本件発明が医師でなければ実施できない性質のものであったことから、その特許を受ける権利を、医師であるKに対して無償で譲渡し、Kが特許出願人としてその特許出願をすることとなった。その代わり、JとKは、昭和四二年五月二五日、本件発明が特許されてKのその実施によって利益が上がったときは、これを両者で折半する旨(利益を半分ずつ分け合う旨)の合意をし、その証として同日付け譲渡証書(甲第二号証)を作成した。

右譲渡証書の下段にある「K」なる署名が、甲第三二号証の二の署名と同一であること、右譲渡証書作成以前に作成された甲第三二号証の一、二の印影が、K自身が本件発明の特許出願後にその手続を弁理士に委任した書類である甲第三〇号証の二の印影と同一であることなどからすれば、右譲渡証書がKの作成に係る文書であることは、明らかである。また、右譲渡証書は、KがJに対して本件発明の特許を受ける権利の二分の一を譲渡する旨の記載がされているが、同日付けの本件発明の特許出願書(甲第三号証)の発明者及び特許出願人についての記載や、Jによる他の医学関連の考案である足先覆について、JとKとの間で同様の文面で同様の利益分配が約定されていること(甲第三二号証の一)などに照らせば、右譲渡証書が文面そのままの意味ではなく、利益を折半する旨の合意を示す書類であることは、明らかである。

Kは、本件発明の特許出願後、Jに黙ってその手続を弁理士に委任し、その手続に要する印鑑を変更し(甲第三〇号証の一ないし三)、また、特許を受けた後も、その事実をJに知らせることなく、あたかも自分が本件発明の発明者であるかのごとく宣伝し、本件器具を使用して利益を上げていた。Jは、昭和五四年になって初めて特許取得の事実を知り(甲第三八号証の一ないし三)、M弁理士にKとの交渉方を依頼し、同弁理士が昭和五五年七月一二日及び同年八月二三日の二回にわたってKと面談したが、Kは、右合意に基づく債務を履行しようとしなかった。Jは、弁護士に依頼して訴訟を提起することも考えていたが、弁護士費用を工面できないなどの理由により、これまで訴訟を提起することができなかった。

3  被告らは、前記の利益を折半する旨の合意について、特許権が存続する期間に限って効力を有するものであると主張するが、右合意は、利益が上がり続ける限り両者で分配し続ける趣旨のものである。特許権の存続期間の終了によって第三者が自由に実施できることになっても、JとKとの間で交わされた合意の内容には何ら影響はない。

4  Kは、本件器具を使用して腋臭症の治療行為を行い、平成元年一月から平成六年一二月までの間に、少なくとも一九億一二七一万一六二五円の利益を上げた。そして、前記の利益折半の合意は、利益が上がる都度、当該利益額について支払期が到来し、その支払を求め得るものである。したがって、Jは、右合意に基づき、Kに対し、右利益額の半分(その一部として、一億九九九九万九九九六円)の支払を請求することができた(なお、この請求権は、時効によって消滅していない。)。

5  よって、Jの相続人である原告らは、Kの相続人である被告らに対し、その法定相続分に応じて支払を求め得る金額の一部請求として、請求の趣旨記載のとおりの金員の支払を求める。

三  被告らの主張

1  本件発明の発明者は、Kである。

Kは、当時、毛髪生成の研究及び腋臭症の治療等の分野における第一人者であり、昭和四〇年ころから続けていた腋臭症の有効的な治療方法の研究過程において、腋臭症に係る多汗、腋臭の発生源、毛の成長源が従来の学説とは異なる箇所にあることを発見し、その発生源の皮下組織を一定の厚さに削除できれば、腋臭症の治療に大きな効果があることを発見した。そして、右皮下組織を削除する手術用の器具として、従来掻爬に用いられていた鋭爬器を改良することを思いつき、電子顕微鏡開発の業務に従事していた義兄Nの協力を得て、試行錯誤を重ねた結果、昭和四二年春ころ、最終的に本件発明を創作したものである。

医学知識のない素人が腋臭症の有効な治療方法を思いつくことはなく、その治療方法を知らない素人が腋臭症の治療に必要な器具を発明するということは絶対にあり得ない。

本件発明の願書等(甲第三号証、第四号証)には、発明者としてJの名前が記載されているが、それは、Kから本件発明の特許出願手続代行の依頼を受けたJが、願書に勝手にその旨の記載をして特許出願したものである。Kは、特許出願直後、その出願書類に本件発明の発明者としてJの名前が記載されていることに気付いたが、出願人と発明者が異なるものと申請した方が特許を取得し易いなどというJの説明を信じて、そのまま了解したものである。また、願書の下書原稿等(甲第二二号証ないし第二六号証)も、Kが図面を示して説明した内容をJが書面化したものにすぎない。Kが自らの論文において、自らJの名前を出して本件発明の特許出願公告を引用していることも(甲第三七号証)、特許公報の表示をそのまま引用したにすぎず、何ら特別の意味を有するものではない。

2  KとJとが、本件発明が特許され、その実施によって利益が上がったときは、これを両者で折半する旨の合意をしたという事実はない。昭和四二年五月二五日付け譲渡証書(甲第二号証)は、Kの作成に係るものではなく(下段にある署名は、K本人のものではない。)、右合意の存在を裏付けるものではないし、その記載内容自体、原告らの主張に反するものである。

3  仮に原告ら主張のような合意があったとしても、それは、特許権から生ずる利益の分配の合意であり、特許権の存続を前提とするものであるから、特許権が存続する期間に限って効力を有するものと解すべきである。原告らは、平成元年一月から平成六年一二月までの間に生じた利益の分配を求めているが、本件特許権の存続期間は昭和六一年に終了しており、原告らは、平成元年一月以降に生じた利益の分配を求め得るものではない(なお、本件特許権の存続期間中に生じた利益について分配を求め得るとしても、その請求権は、既に時効によって消滅している。)。

4  原告らは、Kが本件器具を使用して腋臭症の治療行為を行い、利益を上げた旨を主張するが、Kが得たものは治療行為に対する診療報酬であり、本件器具による利益ではない。

四  争点

1  JとKは、昭和四二年五月二五日、本件発明が特許されてKのその実施によって利益が上がったときは、これを両者で折半する旨の合意をしたか。

2  JがKに対し、右合意に基づいて、平成元年一月から平成六年一二月までの間に本件発明の実施によって得た利益額の半分を請求することができたか。

3  平成元年一月から平成六年一二月までの間に本件発明の実施によって得られた利益額の半分が、少なくとも一億九九九九万九九九六円であるか。

第三当裁判所の判断

一  争点1について

1(一)  原告らは、JとKとの間で本件発明の実施による利益を折半する旨の合意がされることの前提として、Jが本件発明の真の発明者であると主張するので、まず、この点について検討する。

(二)  甲第四号証によれば、本件発明は、腋臭症の治療に用いる腋窩皮下組織削除器の発明であり、腋窩の表皮を切断損傷することなく、その皮下組織を均一な厚みで削除でき、また、削除する腋窩皮下組織の厚みを容易に選択し得るようにすることを目的とし、右の目的を達成するために、中央部を枢着した開閉自在な一方の操作杆の先端に適宜間隔をおいてローラー5、6を枢着し、他方の操作杆の先端に基部方向に起上する切除刃10を取付けローラー5の内側下部に対向させて装置するという構成、一方の操作杆基部に嵌合した摺動体9とこれに当接する他方の操作杆の傾斜面11とによって前記ローラー5と切削刃先端との間隔を調節自在にするという構成をそれぞれ採用したものであることが認められる。腋臭症の原因やその治療方法等に関する医学知識は、本件発明が達成しようとする目的を導き出すために必要なものといえるが、右目的を達成するための技術思想を創作するに当たっては、必ずしも必要なものとはいえない。したがって、腋臭症に関する十分な医学知識を有していないことを理由として、本件発明の発明者であることが否定されるものではない。

甲第四号証によれば、本件発明の特許出願公告に係る特許公報には、発明者として「L」というJの通称名が記載されていることが認められ、本件発明の願書にも、当初から右特許公報と同様、発明者としてJの通称名が記載されていたものと認められる。原告らが本件発明の願書であるとして提出する甲第三号証(ただし、被告らは、K作成部分の成立を否認する。)にも、発明者としてJの通称名が記載されている。

また、甲第五号証、第三七号証及び乙第一号証によれば、Kが腋臭症の治療法について記した書籍「多汗症・ワキガの治療」には、「あれこれと考えをめぐらせている時に、ある人から「ローラーで、この刃面に向かって押さえてみたら……」とのヒントを得ることができました。‥‥ヒントを与えてくれた友人に敬意を表する意味もこめていたのです。」と、本件発明の創作について第三者の関与をうかがわせる旨の記載がされており、また、K及び高木昌美が腋臭症の治療法について記した論文「腋臭症皮下組織削除法の検討」には、「筆者らは昭和四二年以来、腋臭症皮下組織削除器を考案開発して、現在まで約五〇例に当手術を施行し‥‥た。」との記載があり、文献として、「L・他:特許出願公告,46-17039,1971」と記されて、本件発明の特許出願公告が掲げられていることが認められる。

さらに、甲第二二号証ないし第二六号証によれば、Jは、皮膚層の詳細図や手控えメモ、本件発明の願書の下書原稿などを作成していたことが認められる。

(三)  しかしながら、以下に詳述するように、右の事実関係から、本件発明の真の発明者がJであると直ちに認めることはできない。

書籍「多汗症・ワキガの治療」(甲第五号証及び乙第一号証)には、本件発明の創作について第三者の関与をうかがわせる旨の記載がされているが、それがJであることを直接うかがわせるような記載はなく、仮にそれがJであったとしても、右書籍の記載は「ヒントを与えてくれた」というにすぎず、Jが本件発明の発明者であることを裏付けるに足りるものではない。論文「腋臭症皮下組織削除法の検討」(甲第三七号証)の記載についても、右論文が共著であることやその記載内容からすれば、「筆者ら」の中にJが含まれていると直ちに解することはできないし、「筆者ら」のうちのK以外の者が腋臭症皮下組織削除器の発明者であるという趣旨の記述と解することもできない。右論文中の文献の記載についても、文献の特定のためにJの名前を記載したものと考えるのが自然であって、Jが本件発明の発明者であることを裏付けるに足りるものではない。

Jが願書の下書原稿等(甲第二二号証ないし第二六号証)を作成していたという点については、これらの書類は、その記載内容からして、本件発明の創作そのものではなく、本件発明創作後の特許出願手続に関するものにすぎないといえるし、そのうち甲第二三号証にKが添削を施していることからすれば、JがKから説明・教示を受けた内容を単に書面化したにすぎない可能性も否定できず、これらの書面を作成したという事実から直ちにJが本件発明の真の発明者であることが裏付けられるものではない。

本件発明の特許出願公告に係る特許公報や願書に発明者としてJの通称名が記載されていることについても、そもそも、特許出願手続においては、昭和四二年当時から、実務上、一般に、特許出願の際に、願書の発明者の記載内容が真実であるかどうかについては、特段審査されるものではなかったことからすれば、願書の発明者の記載から、直ちに、そこに記載されている者が直ちに真の発明者であると断定できるものではない。また、いったん特許出願がされると、その願書に記載された発明者を変更(追加・削除)することは、昭和四二年当時から、容易にできるものではなく、実務上、その手続には、譲渡証書、変更前後の発明者(削除・追加される発明者)相互の宣誓書、変更の理由を詳細に記載した書面、発明に至るまでの経過を記載した書面の提出を要するとされていたこと、他方、出願人に特許を受ける権利が有効に存在する以上は、願書の発明者の記載が真実と異なっていても、特許権の効力には特段影響がないことなどに照らせば、出願人が後に発明者の記載が実際と異なっていることに気付いてこの補正を望んだものの、結局そのまま放置し、その結果、発明者の記載が真実と異なったまま出願公告され、設定登録されたということも、十分あり得るところである。そして、乙第七号証、被告H本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、本件発明の特許出願については、JがKを出願人とする願書を作成した上、実際に特許庁に出向いてこれを特許庁長官宛に提出したものであること、少なくとも右の点については、Kもこれを了解しており、本件発明の特許出願はKの意思に基づくものであったことが認められるが、他方、Jの作成に係る願書の下書原稿(甲第二二号証、第二三号証)は、Kが添削を施したものも含めていずれも発明者欄の記載が空欄であったこと、原告らが本件発明の願書であるとして提出する甲第三号証において、出願人として記載されているKの住所に誤記があることなどからすれば、Jが自ら作成した本件発明の願書を、その記載内容についてKの確認を得ないまま提出したという可能性も否定できず、同号証のK名義の印影がKの印章によって顕出されたことを認めるに足りる証拠もない以上、同号証のK作成部分の成立の真正が直ちに肯定されるものではない。このような事情の下では、甲第三号証、第四号証に発明者としてJの通称名が記載されているとしても、そのことから直ちにJが本件発明の真の発明者であることが裏付けられるものではないというべきである。

(四)  したがって、Jが本件発明の真の発明者であることを前提とする原告らの主張は、これを採用することができない。

2(一)  原告らは、KがJに対して本件発明に関する特許を受ける権利の二分の一を譲渡したことに相違ない旨のK名義の譲渡証書(甲第二号証)を根拠として、JとKとの間で本件発明の実施による利益を折半する旨の合意がされたと主張するので、この点について検討する。

(二)  被告らは、右譲渡証書(甲第二号証)の成立を否認するが、原告らは、右譲渡証書の下段にある「K」なる署名が、甲第三二号証の二の署名と同一であること、右譲渡証書作成以前に作成された甲第三二号証の一、二の印影が、K自身が本件発明の特許出願後にその手続を弁理士に委任した書類である甲第三〇号証の二の印影と同一であることなどを根拠として、右譲渡証書がKの作成に係る文書であることは明らかであると主張している。

しかし、甲第二号証の「K」なる署名が甲第三二号証の二の署名と同一であると直ちに認めることはできないし、成立に争いのない甲第三〇号証の二、第三二号証の一、二の印影がそれぞれ同一であるとしても、それらの印影は甲第二号証の印影と異なるものであるから、その成立の真正を推定し得るものではない。また、前記のとおり、JがKを出願人とする願書を作成して本件発明の特許出願をすることについては、Kの意思に基づくものであったことが認められるものの、甲第三号証のK作成部分の成立の真正が直ちに肯定されるものではない以上、甲第三号証の印影が甲第二号証の印影と同一であっても、甲第二号証の成立の真正を認めるに足りるものではない。甲第二号証に記載されたKの住所に誤記があることなどに照らしても、同号証が真正に成立したものと認めることはできず、同号証をもって、JとKとの間で本件発明の実施による利益を折半する旨の合意がされたと認めることはできない。

(三)  また、右譲渡証書の記載内容自体、KがJに対して本件発明に関する特許を受ける権利の二分の一を譲渡したことに相違ないというものにすぎず、その成立の真正が認められたとしても、JとKとの間で本件発明の実施による利益を折半する旨の合意がされたことを裏付けるに足りるものではない。

この点に関し、原告らは、甲第二号証と同様の記載がされている甲第三〇号証の二を証拠に、Jによる他の医学関連の考案である足先覆について、JとKとの間で同様の文面で同様の利益分配が約定されていると主張し、これを根拠として、甲第二号証がその文面にもかかわらず利益を折半する旨の合意を示す書類であると主張する。しかし、足先覆についての実用新案登録出願に関する書類等は、一切証拠として提出されておらず、他に足先覆がJの考案であることを認めるに足りる証拠はないし(甲第三四号証の一ないし一二は、その記載内容に照らして、足先覆の商品事業化に関するものというべきであり、Jが足先覆の研究をしていたことを認めるに足りるものではない。)、JとKとの間で足先覆の販売利益の分配についてどのような合意がされていたかを示す証拠も存在しない。したがって、甲第二号証が甲第三〇号証の二と同様の記載がされていることをもって、それが利益を折半する旨の合意を示したものであるということはできない。

なお、Jが本件発明の真の発明者であることを前提とすれば、右譲渡証書の記載内容については、JがいったんKに対して本件発明に関する特許を受ける権利を譲渡し、その後、KがJに対して本件発明に関する特許を受ける権利の二分の一を譲渡したものと考えることもでき、そうであるとすれば、右特許を受ける権利の譲渡の対価として金銭支払の合意があったと解する余地もあるが、Jが本件発明の真の発明者であると認められないことは、前記のとおりであり、また、原告ら自身、JがKに対して特許を受ける権利を無償で譲渡したと主張しており、右特許を受ける権利の譲渡の対価として金銭支払の合意があったということは、原告らの主張するところではない。

(四)  Kが本件発明の特許出願後、その手続を弁理士に委任し、その手続に要する印鑑を変更したこと、Kが右の事実及び特許を受けた事実をJに知らせなかったことは、いずれもJとKとの間で本件発明の実施による利益を折半する旨の合意がされたことを裏付けるに足りるものではない。また、甲第三八号証の一ないし三、第三九号証の一ないし三、第四〇号証の一、二、第四一号証の一ないし三、第四三号証の一、二、第五四号証、第五五号証、乙第二号証、第七号証、証人Mの証言、原告A及び被告H各本人尋問の結果によれば、昭和五四年七月、佐々木秋市特許事務所がJから依頼を受けて、本件発明の特許出願手続のその後の経緯について調査したこと、昭和五五年七月ころ、M弁理士がJから依頼を受けてKと面談し、Kに対して金銭の支払を要求したこと、昭和五六年四月ころ、Jが山本高行弁護士にKに対する金銭支払請求について相談をしたこと、昭和六二年八月、若新光紀弁護士がJから依頼を受けて、Kに対して内容証明郵便を送付したことが認められるが、右の事実からJとKとの間の右合意の存在を認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

3  したがって、JとKが昭和四二年五月二五日、本件発明が特許されてKのその実施によって利益が上がったときはこれを両者で折半する旨の合意をしたと認めることはできず、原告らの請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

二  争点2について

右のとおり、JとKとの間で本件発明の実施による利益を折半する旨の合意がされたことを認めることはできないが、仮にこのような合意が認められたとしても、それは、本件特許権が存続する期間に限って、本件発明の実施による利益を折半することを内容とするものというべきである。すなわち、原告らは、JとKとが昭和四二年五月二五日、本件発明が特許されてKのその実施によって利益が上がったときはこれを両者で折半する旨の合意をしたと主張するものであるが、右の合意内容からすれば、その利益の分配は、あくまで本件発明が特許されて、その実施を特許権者が独占している状態にあることを前提としているのであって、右合意は、本件特許権が存続する期間に限って本件発明の実施による利益を折半する趣旨のものと解するのが相当である。

この点、原告らは、右合意は利益が上がり続ける限り両者で分配し続ける趣旨のものであると主張するが、そうであるならば、必ずしも本件発明が特許されることを待つ必要はなかったものといえるし、特許権の存続期間が終了すると、本件発明は誰でも自由に実施できるにもかかわらず、Kのみはなお従前と同様の金員をJに対して支払わねばならないことになるが、このような結果は、極めて不合理であって、通常の契約当事者の意思に反するものといわざるを得ない。

そうすると、原告らは、平成元年一月から平成六年一二月までの間に生じた利益額の半分の分配を求めているところ、本件特許権の存続期間は、出願公告の日から一五年を経た昭和六一年五月一一日に終了しているから、Jは、Kに対して、右の期間の本件発明の実施によって得た利益額の半分を請求し得たものではなく、Jの相続人である原告らも、被告らに対し、右の請求をすることはできない。

したがって、原告らの請求は、この点でも理由がない。

三  以上によれば、原告らの請求は、いずれも理由がない。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 三村量一 裁判官 村越啓悦 裁判官 中吉徹郎)

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